先進国と第三世界のあいだに形成された不均衡な関係が環境倫理にどのような影響を与えてきたのかを文化人類学的な見地から考察する
例によってイラつきながら帰宅したが、ポストの中に入っていたCDにニンマリする午後20:00。 俺が注文したんだから届いてて当たり前なんだが、やはり嬉しい。「おほっw」ってなる。
所詮 俺が抱えてるストレスなんてそんなもんなんだな。まあ虐めてやりたいカスが山ほどいるのに変わりはないが。ビキ ビキ…。
若い子はもうCDを買わないらしい、それどころかCDって媒体を知らないキッズも自我を持ちはじめ二足歩行を始める昨今である。 しかし、いくら時が流れようともCDは俺にとって近未来感丸出しのアイテムだ。なにせ盤面が虹色でキラキラしている。これ近未来の証。
ちなみに俺様が生まれて初めてGETしたCDはポンキッキのガチャピンとムックが歌う納豆の歌である。なぜか近所の田んぼにケース無しの剥き身で落ちていた。それを持ち帰り、「このキラキラした近未来感丸出しのアイテムはなに?」と今は亡き母親に尋ねたのがCDとのファーストコンタクトである。俺が5歳くらいの頃だ。どうでも良い話である。あとよく考えたらオカンまだ生きとるわ。今日も介護施設にパートに行っとるよ。それどころか今日はオカンのお誕生日やんけ。
閑話休題。
とにかくCDは最高なんだよ。そしてだ!そんな近未来感ハッピーアイテムをプレスしてくれる工場や、それを届けてくれる郵便屋さんに感謝とリスペクトを。そしてなにより カッコいい音楽を生み出してくれるバンドマン達に気をつけ!からの ありがとうございます(絶叫)!を。
あとは、聴力を与えて下さった神とか、無事に産んでくれた両親とか、CDプレイヤーを店頭に並べてくださったケーズデンキの店員さんとかに、感謝し、けしてそれらを忘却する事なかれ。事なかれ主義。
…どや? どーせ、お前たちは、そんな事を考えながら音楽を聴いてないだろ? …漫然とトレイにCDを乗せるな。何を前にし、何を聴いているのか意識しろ。それが音楽を聴く者に課せられた責任。義務と知れ。
つまり、結論、何が言いたいかと言うと
amazonから届いたCDと、ランチパックって見た目が まあまあ似てる!って事よ。
間違えて食べちゃいそう